夢源樹の店主から、無理矢理引きずり込まれた執筆者が、蔵の闇に散らばった言の葉を拾い集めて紡いだコラム。
2010.07.01 Thu.
キリスト教やイスラムに比べて、ユダヤ教といわれても、おそらく多くの日本人には、あまりピンとこないのではないだろうか。キリスト教の母体となった宗教で『旧約聖書』を聖典としており、それを信じている人々はユダヤ人と呼ばれている、と答えられたら、学校では、まず及第点はもらえるだろう。
しかし、その実態となると、まるでなじみがないというのが正直なところだろう。どうしても、宗教という言葉から、神父や牧師のような存在がいるように思うかもしれないが、さにあらず。
確かに、ラビと呼ばれる教師はいるものの、ユダヤ教にはカトリックやプロテスタントのように統一された教義が存在しない。『旧約聖書』を聖典とはするが、その解釈をめぐっては千差万別。10人のユダヤ人がいれば、11の解釈が生まれると揶揄されるほど、実に様々な解釈があり、それをよしとする。
実際、イスラエルを訪れるとわかるが、いたるところでユダヤ人たちは議論している。『旧約聖書』の解釈をめぐって、あれこれ論争しているのだ。議論好きな民族だといわれるのも納得がいくのと同時に、歴史的な学者や政治家、芸術家などに多くのユダヤ人がいるのは、まさに、この習慣とバックボーンである徹底した教育が理由であるといえよう。文字の読み書きができなければ、『旧約聖書』を読むこともできず、また議論もできないからだ。
ところで、『聖書』は神の言葉が記されている。全知全能の神の言葉を理解するためには、人間が頭で考えた知識や知恵では限界がある。ために、当然というべきか、神秘的な解釈がなされる。これをユダヤ教神秘主義カバラ(カバラー、カッバラー、カッバーラ、カッバーラー)という。
世にいう西洋魔術のルーツは、すべてカッバーラにあるといっても過言ではない。古代の預言者は神からカッバーラの叡智を与えられ、人々を導いてきた。カッバーラの叡智は深遠であり、文字通り底なしである。ゆえに、実際はユダヤ教の範疇に収まるものではない。あらゆる哲学思想や宗教の根源であるといっても過言ではないのだ。
深遠なるカッバーラの奥義は「生命の樹」と呼ばれる特殊な図形で表現される。3本の柱と11個のセフィロト、そして22本のパスから成る。もちろん、これはあくまでも象徴であり、このような形の樹が実在するわけではない。
しかし、この生命の樹という概念は、ユダヤ教のみならず、そこから派生したキリスト教やイスラムはもちろん、ゾロアスター教やヒンドゥー教、仏教、道教、そして日本の神道に至るまで、この世の宗教すべてに存在する。
つまり、極論すれば、生命の樹のシンボリズムを読み解き、カッバーラの奥義を手にすれば、この世のすべてを理解できるのだ。それゆえ古より、人々はカッバーラを学び、その階梯を登ろうとしてきた。人間のみならず、天使や悪魔と呼ばれる存在もまた、生命の樹を昇り降りしているのだ。

三神たける
MIKAMI Takeru
某商業誌に超常現象系のコラムを寄稿する謎のライター。
‘70年代の多感な時期を、ユリゲラーやUFOと共に過ごす。
生年、性別不明。
